2008年02月22日

日本の図書館員とアメリカのライブラリアンの一番の違い。

 アメリカのライブラリアンが日本の図書館員と違うところがあるとするならば、もっとも大きい違いは。
 「当事者意識の強さ」、でしょう。

 目の前にある問題を、自分自身が解決すべきこととして認識し、そのためにどうすべきかを自力で判断し、自らの意思で動き、その自分の判断に自信と責任を持つ、ということ。

 そりゃ、迷ったり、めんどくさがったり、わかんなかったり、妥協したりもあるんだけど、なんだろうな、みな一様に、「それはこうこうこうで・・・」と自分の言葉で語り、「こうこうこうするつもりである」「こうしようとしている」と自分の行動を語るよ。

 誰かに言われたから、ではなくて。そう決まっているから、ではなくて。皆がそうしているから、とか、なんとなくそういう空気だから、とか、誰それ先生がそう言ってるから、でもなくて。

 日本の図書館員に欠けているとすれば、それなのかなあ。
 勤勉さやこまめさではどう考えたって勝ってると思うのに、なぜかしら、遅れをとってるっていうのは。

 ただ、それはまあしょうがないというか、図書館員としての問題じゃなくて、国民性的なものそのものの問題だと思うのですよ。
 こっちじゃ、サンドイッチひとつ注文するのに、いちいちこっちから全部指定してあげないといけないんだもの。パンは何にするのか、チーズの種類はどれか、ドレッシングは何をかけるか、野菜はどれとどれとどれを入れるのか。しかもそれらを、向こうが質問して導いてくれるわけではないから、自分から宣言しないといけなくて、宣言しなかったら最期、マヨネーズもドレッシングも一切無いぼんやりした味のサンドイッチになってしまうもの。
 めんどくさ〜、と最初は思ってたんだけど、考えてみりゃ、てめえが食いたいもん、てめえでゆえよ、て感じなんだなあ、そりゃそうだ。

 かといってじゃあ日本の図書館員が、決定権も予算執行権も、専門性への保証も、それなりの見返りも、どの職に就くかを選ぶことすらもできない状態でもって、当事者意識を持つ、というのは、これは並大抵の精神力ではできないですよ。

 けど。
 持ってるほう(アメリカのライブラリアン)が明らかに楽しそうだよなあ、というのはあるので、やっぱ持っときたい

 こちらに来て一番学んだのは、そういうことかも。

 さて、ほかにも「コミュニケーションでもって互いが有機的につながる様」や、「個々の存在や組織が、ツリー上のヒエラルキー・モデルに縛られていない」やがあるのですが、まあ、またの機会に。
posted by egamihvu at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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