2008年02月02日

義務と便宜

 江上の見聞。
「ただ、とあるカタロガーの人のおっしゃるには、言うてもOCLCにはもはや何億というデータがあって、1個1個の整合性とか正確さとか、そんなん気にしてみたところでもはやあんまし無意味、という感じになってて、んー、まあ、そりゃそうだろうなあ、と思わなくもなかった。」

 kuboyamaさんのコメント。
「OCLCの書誌レコードの件ですが、私もほぼ初対面状態で、ここに書いたように、いわゆる品質的に、運用方法が違うのかなと感じました(ちょっと見ただけに過ぎないのですが)。
http://blog.goo.ne.jp/kuboyan_at_pitt/e/9b623b485f3a2db2b37c377f9d41c63b
考え方の違いを知るのはいいことだと思いますが、やはり使い勝手に議論が進むべきなんでしょうかね。」

 江上の感想。

 例えば、歩行者で赤でもどうどうと横断歩道を渡る、どころか、車道の真ん中をどうどうと横切る、どころか、車だって歩行者がいなけりゃたまに信号を無視して動くことがある。そういうのを見てて、なんていいかげんで大雑把な、くらいにしか思ってなかったのですが。
 いやむしろ、規則というものやそれを守るということへの感覚自体、日本とこちらとではまるっきりちがうんじゃなかろうか、と思うたのですよ。
 交通規則でもNCのコーディングマニュアル的なのでも、日本だとそういう規則は、なんとなくこう、どこかしらの”上”から与えられたもので厳守すべき、みたいに思っちゃうところがあるんじゃなかろうか。それに対してこっちの人は、ルールというものは、誰かしら(自分と同じレベルの)人間が作ったものであって、自分のいま・ここの実態に合わない場合には、自分の判断でモディファイドしちゃう、ていう、「目安」みたいなものくらいに思ってるふしが、どっかにあるんじゃなかろうか。

 なんてことをぼんやり考えてみたのでしたよ。

posted by egamihvu at 09:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わざわざ別記事にしていただいて恐縮です。
ちょっと仕事以外で頭を振り回されて、思考能力が落ちていますが、そういう(文化的な違い)こともあるでしょうね。
特に、規則(コーディングマニュアル)は守りましょうといった空気は、日本では感じますね。じゃあ、アメリカはどうやねん、とはまだ見えませんが。
「次世代OPAC」の記事も同感。
次のシステム更新まで、とか言っていたら、どうなるか。
"こんなんありましたよ"的報告は最低線として、じゃあ、どこをどうしたら、日本国内で進むのかというのは、つらつら、たまに考えます。

2週間前に続けてフライト・キャンセルに会いながらも、ボストンに来たkuboyamaより
Posted by kuboyama at 2008年02月03日 12:14
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