2007年06月24日

6/23:ALA2007「図書館と景観」

 「図書館と景観」という分科会で話を聞きましたよ。建築好きな江上なので、嬉々として聞きましたよ。

 3人の人がパワポで発表して、1人は概説、2には事例報告という感じでしたよ。
 概説の人は図書館&景観の4つのパターン、Urban、Village、Ex-Urbun、Campusを示して、例えばUrbanのキーポイントは街の構造であり、幅広い道路であり(へぇ〜)、公園である(あぁ〜なるほど)、というので示された例が、BostonとNYPLで確かにどちらもすぐ隣に公共の広い公園があるね。Villageではtownscapeやgreenであるとか、Ex-Urbunではsustainableや環境に優しいであるとか、そういうことをおっしゃってたよ。CampusではQuadranglesが大事だとおっしゃってて、何のことかわからなかったんだけど、そうか、トライアングルが三角ならQuadranglesは四角だな、米国の広いキャンパスは矩形を成してるところが多いからその景観造りのことをゆってるんだろうな、と推察したよ。概説の人のいくつかの事例では、道路からの視線が図書館にどう入るか、墓地が閲覧室から視界に入らないようにするにはどうするか、などが考えられたり、ハドソン河畔の地域全体の景観にどう溶け込ませるか、その地域の環境を破壊しないようなエネルギー戦略とは、というようなことが語られていたよ。
 他の2人の人の事例報告では、樹齢100年の大木をどういう考え方のもとでどう移植させたかとか、歴史的地区に指定されている場所の公共図書館では、概観ばかりでなく、その土地でどのような役割を果たし、どのように使ってもらうのか、そのためにどういう見た目の建物にして、どういう見た目の設備にするのか、ということが語られたよ。

 (写真は後日)

 「景観って、見た目でしょ、美的感覚でしょ、要はセンスとか気持ちの問題でしょ」などと軽くおっしゃって、一般にはなんとなくしか語られないように思うのですが、いや、まったくそんなことにとどまらない問題であるということを、今回お話をきいてあらためて感じましたよ。
 図書館自体の外観、その地域における景観を考えるというのは、決してたんなる見た目やセンスといった気持ち的な問題ではなく、図書館にどのような機能を持たせるかを考えることであり、図書館をその地域の人々からどう見られる存在となるのかを考えることであり、それはまさしくその図書館が確固として保っておくべきポリシーであり、ミッションであり、哲学でありが、具現化したものであるわけですよ。ですからそこには、戦略的考えによって緻密に計算し積み上げていくべき姿勢が必要なのであって、決して気持ちやセンスだけでぼんやり決めてしまってはいけないのですよ。
 さらに言えばそれは、図書館それ自体のみで自己完結する問題でもない、図書館の窓から何が見えるのか、墓が見えるのか車通りが見えるのか。車通りから図書館がどう見えるのか、突然現れるのか閲覧室が丸見えなのか。そして、森や河や歴史的建物群の中で、その図書館がどう見えることになるのか。そういうひとつひとつは、図書館の社会的位置・役割の現れであり、他者(ユーザ以外の)との関係性・相互作用性を無視して図書館単体で成立することなんぞあり得ないという、当たり前だけど忘れがちなことを思い出させてくれるのですよ。
 景観は、即ち図書館建築は、決して建築家個人のこだわりや為政者・管理職の気まぐれで右往左往させてはならない問題であるよ、と。それは即ち、図書館のポリシーなりミッションなり哲学なりを個人のこだわりや気まぐれで右往左往させることと同じことであるし、図書館のあり方を社会や地域といった他者から無関係のものとして切り離し(ひきこもり)にさせてしまうのと同じことであるよ、と。

 というようなことを、発表者の3人は別にひとことだって言ってないんだけど(笑)、江上的に考えたのですよ。
 だって、英語がぼんやりとしかわからない身にとっては、そんなことでも考えながら聞く以外にしょうがないじゃないか(涙)。
posted by egamihvu at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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