2007年04月27日

ボストンへの道。

 ボストンは、端的に言えば、アメリカ合衆国発祥の地、らしい。その「道」とは。

・1492年にコロンブスがアメリカ大陸に上陸。
 →スペイン・ポルトガルあたりがアメリカ大陸を支配。
 →オランダがニューアムステルダムを中心に植民地を建設。
 →@

・ヨーロッパで宗教改革が起こる。
 →イギリスでイギリス国教会が成立する。(王様が離婚したくて作ったので、宗教的にはあんましピュアではない)
 →絶対王政や東インド会社が成立する。
 →経済発展に伴って、中産階級にピューリタン(清教徒)が増える。(宗教的にピュアな人たち、らしい)
 →イギリス国教会=王政側がピューリタン側を圧迫するようになる。
 ↓→A
 ↓→のちにピューリタン革命・名誉革命が起こり、立憲王政が成立し、市民革命が成功し、資本主義経済と産業革命につながるのであったが、それはまた別の話。

・@+A
 →1620年、信仰の自由を求めるピューリタンの人たち(ピルグリム・ファーザーズ)が、メイフラワー号に乗って、アメリカに渡る
 →プリマス(=ボストンの南5-60Km)に上陸する。
 →1630年、植民地として港町・ボストンが建設される。
 →港町なので、貿易的なことで栄える。
 →1635年、ボストン・ラテン・スクール(アメリカ最初の公立学校)
  1636年、ハーバード大学(アメリカ最初の大学)
  ピュアな人たちなので、教育にも熱心だった。

・ボストンとかこのへんをニューイングランドと呼ぶ。「アメリカに新しいイングランドを!」的な感じである。
・当初、本国が革命とかで忙しくてかまってられなかったことと、元々が信仰の自由を求める人たちの集まりだったことから、独立・自由の気風が強い土地柄になる
 →そのせいで逆に、わりと本国と仲の悪い感じの歴史がずっと続く。
 →例:1690年、アメリカで最初の新聞が創刊される。本国許可のない出版だったため、即停止になる。

・18世紀に入って、イギリス本国が、よその国と戦争したり、よそに手を広げすぎた感じになってきて、経済的に厳しくなる。
 →植民地への課税・支配を強化する。
 →仲の悪さが顕著になる。
 →1765年、本国が印紙税法を制定する。アメリカ側は「代表なくして課税なし」(江上訳:「アンフェアなのは誰か」)を唱えて対抗し、撤回させる。
 →1767年、本国がタウンゼント諸法(註:とにかくいろんなものに関税をかけるやけっぱちのような法律)を制定する。アメリカ側はサミュエル・アダムスさん(今日ではビールの名前に名を残す)を中心に抵抗し、撤回させる。
 →どんどん仲が悪くなってきてる。
 →1770年、ボストン市民とイギリス軍人の、散髪代支払いに端を発する小競り合いが、街をあげての騒動に発展し(だいたいこういう惨事の発端は、もうどうしようもなくつまんないことである)、イギリス軍人による無差別発砲で5人が死亡。これが世に言う、ボストン虐殺事件である。
 →1773年、本国が茶法(東インド会社による独占販売)を制定する。怒ったボストン市民の一団が、インディアンに扮装し、東インド会社の船に乗り込んで、「ボストン港をティーポットにしてやろうか」とばかりに紅茶を海に投げ捨てるという事件を起こす。これが世に言う、ボストン茶会事件である。ちなみに、この事件がきっかけで、アメリカでは今でも紅茶よりコーヒーのほうがメジャー、という説があるのだけど、眉唾だなあ。
 →1774年、怒った本国政府が、ボストン港を閉鎖し、ボストン制圧を強化する。
 →アメリカの本国に対する抗議体制が強くなってくる。
 →1775年、ボストン郊外のレキシントンという町とコンコードという町で、アメリカ軍とイギリス軍との間に衝突が起こる。これ以降の一連の争いが、世に言うアメリカ独立戦争である。
 このときにポール・リビアさんという人がイギリス軍の来襲を知らせに一生懸命馬で走る。どうもこのへんがボストン・マラソンの由来らしい。
 →1776年、イギリス軍が撤退。アメリカ独立宣言。


 こういうとき、高校自分に無理やりにでも世界史習わされててよかったな、と思うですよ。
posted by egamihvu at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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