2008年11月26日

ARGカフェ再録--ネットとリアルの境界線

 第1回ARGカフェさんにて「ハーバード日記:ネットとリアルの境界線」というタイトルでおしゃべりさせていただいた件について、あらためて文章化してみたものを、ここに再録いたします。

 ホワイトボードをイメージしてください(註:当日急にホワイトボードを移動させて、プチ迷惑をかけた)。そこに大きな十字を描きます。座標的な感じで。縦軸は上がインプット、下がアウトプット。横軸は左がネット、右がリアルとお考えいただければ目安となるでしょう。

 で、左上から始まるのですが、まず「ネットでインプット」の場合。
 例えば、アメリカにきてるからといっても、日本の大学図書館業界の動きは逐一追って行きたいわけじゃないですか。それは、帰国後の復帰を見越してリハビリが軽くて済むようにという薄い予防策であるといえばあるんだけども、そういう実益的な問題よりもむしろ、日本を離れて海外に滞在して、日本とはちがう社会での図書館活動・運営というものを見聞きする、すればするほど逆に、日本の大学図書館の有り様というのが随分見通しよく、落ち着いて、斜め上のちょっと高いところから俯瞰する感じで、理解できるようになってくる。だからこそ、日本の状況を忘れることのないよう、キープしておきたい、注視しておきたい、(悪くない意味で)二股かけといておきたい。そういう意味でですよね。
 で、いまどきですからネットが便利遣いできるわけで、ARGさんやCA-Rさん、かたつむりさん、その他様々なMLやらblogやらHPやらをRSS経由やらで情報入手する、ということをやるわけです。
 で、実はそういうネット経由の情報入手というその方法自体は、日本でやっていたことと大してちがいはない、はずなのです。ところが、なぜかしらそうやって仕入れた情報が、日本にいたときのそれのようには、いまいちスムーズに理解できない。つっかかりつっかかりしている。目で字面は追っているんだけれども、その情報が自らの知識として血肉になっている気がしない。一切しない。体の中に落ちてこない、宙ぶらりんのサスペンディッド。というようなもどかしさを覚えました。
 これはいったいどういうわけかしらん、と考えてみたのですがおそらくは、その情報について立場を同じくする日本の同僚・同輩らと話していないからだろう、と。例えば同室なり学内なり酒処なりで、そういえばこないだこんな情報がどこどこに出てたよね?、と水を向けてみたときに、あの○○を手がけた経験のあるAさんはこうコメントした。○○分野のBさんはこんな表情で反応した。そして○○出身のCくんは知らない上に関心もない。ということは、この情報は###という意味合いを持つ、と見ておいてよさそうだな。というように、知人の評価、というよりもむしろ評判、を足がかりとして、情報にいい具合の色付けができるようになる。
 こういう芸当は、既知の、できれば充分に既知の、職業上における立場・環境を同じうする人々を相手にしてこそなせるわざであって、これが海外だと、同じライブラリアンとはいえ環境も立場も前提もだいぶ違う、まだ知り合って間もないしどんな属性を持つかも知らない相手に、同じく水を向けても”NIIなにそれおいしいの?”となってしまう。

 もちろん、「ネットでインプット」が利益ないということは決してありません。
 例えば米国内のよその大学なり図書館なりを訪問し、当地のライブラリアンにお話をうかがうというようなアポがかなった、と。こういうときにはまず徹底的に予習をしてからのぞむようにしていますよね。これは、一期一会1-2時間程度の短時間であっても、効果的な結果を得たいがためでもあるのですが、それだけでなく、そもそも先方にわざわざ時間をとってもらっているにもかかわらず、こちらから一方的に質問するだけ、情報を受け取って帰るだけというのは、失礼ですし、そういう姿勢は好まれません(たぶん、日本以外では)。肩肘張ってプレゼンまでする必要はないにもしろ、面談の折々でこちらからも情報やコメントを口にして、ディスカッションなり意見交換なりを行なう姿勢を持つ。これはもはや、ひとつの礼儀である、ということを各所で学びましたよね。
 そのための徹底予習なのですが、予習するったって難しいことはなく、いまどきネットで2-3時間も渉漁すれば、先方さんに関する文献なりデータなりパワポなりが山のように手に入る。はっきしいってもてあますくらいに。これをひとつひとつ読み解いて、整理&再構成してやれば、5-6000字程度の報告書ならすんなりと書けるだろうし、まあゆっちゃうと、実際にそうやって書き上げ終えた報告だっていくつなりとあるわけで(←あるんだ(笑))、そういう報告の文書について、そこ盛り込まれた情報にだけ着目するならばそれは、現地に行かずしてネット予習の段階ですでに充分把握していた範囲ではありますよ。確かにそうです。なんだけれども、じゃあ、本当に現地に行かなくても同じこの報告文書が書けたのかと言うと、決してそんなことはない。絶対に書けてない。書けたのは、現地を実際に訪れたおかげであると、自信を持って言えちゃうわけなんですよね。
 予習で仕入れた情報をしっかり湛えた状態で、当地のライブラリアンと話をしていると、情報自体はネットにあったあのサイトで、あのPDFで、あのパワポで仕入れたものと同じではあるんだけれども、それが本人の口から発せられるときのノリがちがう。聴いてると、あれ、この情報はこの人ものすごい嬉々としてしゃべってはるな。そうかと思えばこっちの情報は眉も声もひそめてて、いかにも”ほんとはちがうんだけどね、そうは言えないんだよ、だからスルーしてほしいな”と言いたげな。ある情報については自身の感想を添えたりもする。時には、ネットではまったく別カテゴリにあった2つの情報を、さも連続しているかのように同じノリでしゃべり通すので、あれ、これって同じ土俵で考えるべき事項だったんだ、ということがそこで初めてわかる。かと思えば、併記してあったはずの情報の一方を意図的に省略して話すので、あれ、こっちの事項には触れないほうがいいのかな、と悟ったりもする。これによって、なるほど、ネットでは字面上もしくは体面上ああ書いてあったものの、そこにはこういう意味合いが含まれていたのだな、こういう文脈で語られるべき情報だったのだな、こういう札付きタグ付きの情報だったのだな、というような”言葉にできない説明”を受け取ることになる。アトモスフィアを介して。ネットで情報を得られた気にはなっていたんだけども、そのアトモスフィアをいったん吸い込んでみると、その実それはかなり断片的で、編集・整形済み、よそ行きの情報だったのか、ということに気付く。
 この辺りが「リアルでインプット」(右上)のメリットであり、わざわざ海外まで出向いて当地でインタビューなりディスカッションなりすることの旨味のひとつでしょう。正直、そのギャップ、やわらかいアイスクリームの中の砕いたナッツを奥歯のがりっと噛んだ時のような、脳に心地よい違和感というものは、相当にクセになりますよね。(←どんなだ)

 かくのごとく、ネットで得た整形済みの情報というものを、いったんリアルの場においてアトモスフィアの中で感じてみる。そのことによって、欠落し失われていた文脈や重み付け、直感のようなものを補完することができる。
 結論として、ネットもリアルも両方大事、という言になってしまうのはだいぶベタな気もしますが、これはまあ、理屈ではないですよね。しかも、断片的な情報が持つある種の危うさというものを思い出すと、いや、ベタとはいってもはずしてはならん肝だな、と思うのです。

 ところで、いくら陽気な海外暮らしとはいえ、自分ひとりが見聞を重ねていくだけで終わってるようであっては、研修の成果を京大さんに、もしくは日本の大学図書館業界に還元しようとするのには、いま少しまどろっこしい気が致しますな。”個人の研修”を”全体の研修”に、効果的に転化させたい、ということで、現地で記事をちまちまとしたためてはその都度報告していったのが、例の「日記」であり、これは先の座標で言う「ネットでアウトプット」(左下)に位置する典型と言えるますよね。やはりリアルタイムで、オープンに、情報共有を目的として発信することの効果には、言うに言われぬものがあった、押しも押されぬ魅力があった、越すに越されぬプライスレスだった、と実践してみてあらためて思うのですが、その一方でですよ。自分が「ネットでインプット」のほうの立場に身を置いてみると、前述のようなある意味での限界みたいなものを経験せざるをえなかったわけなんで、それを思うにつけ、ではいったい自分がやってるこの「ネットでアウトプット」は人様に対してどこまで有効に響いているのだろうか、いまひとつ届いていないのではなかろうか、という若干の不安を抱かずにはいられなかったというのも事実ですな。
 そんな疑問を、とあるタイミングで、日本の同輩・後輩に涙目で(註:嘘)投げかけてみたところ、いや、ちゃんと届いとりますよ、と。まったく知らない人が書く報告よりも、知人、すなわちリアル世界でつながりがあり顔も声も人格もわかっている”江上”が書く報告のほうが、より理解しやすいし、読みやすいし、何より現実味を覚える。知り合いである”江上さん”(もしくは”江上くん”)からの情報だから、体に落ちやすい、ていうのはあるよ、とのお言葉をいただきました。
 なるほどそう考えますというと、日記を読む人の大半は江上の顔も声も知らぬ人ではあろうけども、例えば”日本の大学図書館業界”というリアル世界の前提なり文脈なりというものを既に共有している種類の人が、その視点で書いた報告、というのは、未知らぬ土地の見知らぬライブラリアンによる文献なりデータなりパワポなりよりも、体に落ちやすいのかもしれない、とも思うのです。

 では、最後に右下に残った「リアルでアウトプット」ですが、帰国後、ハーバードでの経験や見聞を人前で話すという機会を賜り、幾く舞台か上演させていただきました。お運びいただいた方の多くは「日記」なりを既にご存知であり、そして私の話の多くはその「日記」の再演であったりもするのですが、不思議というかありがたいことにというか、「日記」で一度読んだことのある話であっても、実際に会って聞くとまた違って聞こえる、いやむしろ、あの「日記」に書いてあったことの意味が、リアルの場で話をきいてやっとわかった、というお言葉をいただいたりもします。知らず知らずのうちに私の顔にも、嬉々とした表情が表れてたり、眉がひそめられてたり、テンションが高かったり低かったり、しているのかもしれません。情報の向こう側から言葉にならない文脈めいたものがにじみ出てきているのかもしれません。さらには、聞いていただいている皆さんの反応にあわせて、話している私のほうの声や表情、トピックの強弱も少しづつ変わっていかざるを得んなこれは、という心持ですよね。
 というわけで、ネットとリアル、1粒で2度でも、いや何度でも、アウトプットの旨味を贅沢に味わってる感じです。帰国後半年のほっこり感とともに。
posted by egamihvu at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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