2008年10月13日

事務連絡・ハーバードネタ公演のお知らせ

 ぜひおいでください。m(_ _)m


●日本図書館研究会情報組織化研究グループ10月月例研究会のご案内
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◎2008年10月月例研究会

テーマ:ハーバード日記・目録編 : 米国大学図書館での経験から
発表者:江上敏哲氏(国際日本文化研究センター)

日 時:10月18日(土)14時半〜17時
会 場:大阪市立浪速人権文化センター 5階集会室1
大阪環状線芦原橋駅下車、南出口を出てすぐ。
郵便局西隣です 
大阪市浪速区浪速東1-9-20 TEL:06-6568-0791

概 要:京都大学附属図書館とハーバード・イェンチン図書館との協議に基づく「図書系職員海外調査研修」のため、2007年4月から2008年3月までの1年間、visiting librarianとして現地に滞在した。イェンチン図書館はハーバード大学内の東アジア研究専門の図書館で、約120万冊の蔵書を有している。ハーバード大学やその他のアメリカの大学図書館・機関などを訪問しての調査研究、当地のライブラリアンの方々との情報交換などの中から、古典籍の整理・目録、米国における日本語資料のカタロギング、次世代OPACの検討や導入といった、目録に関するトピックを中心に報告する。
参 考:「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ」(京都大学図書館機構のWWWページ)
http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/
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秘密のファイル

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2008年10月18日

HVU大反省大会--↓、↑、そして↓↑。

 長期・滞在型の海外研修を経験して、それと、短期のとでは、どういった点が異なるのか、どういう特有なメリットがあるのか。あるいは、解決されるべき課題は何か。
 ちょっとつらつら考えてみた、という話。

 メリット的なところから。
 
 今回、そういう長期・滞在型の研修を経験した人たちの報告なり記録なりというのをざぁっと読んでみたのだけど、まあほとんどの人がおっしゃるのは、日本の事情をプレゼンで伝えることができた、それについてリアクションをもらった、興味深く受け取ってもらえた、それをもとにディスカッションができた、と。或いは、お互いの立場から意見を交換し合えた、お互いの刺激になった、同じ悩みや課題を持つ者同士で共感がどうのこうの、と。いうようなことですよね。

 インプット(↓)、だけでなく、アウトプット(↑)。そして、ディスカッションなりコミュニケーション(↓↑)。

 それが大事だとわかっているつもりでも、これが短期の訪問ですっと来てすっと帰るようじゃ、(↑)だの(↓↑)だのやってる暇なんかほとんどないからっつって、(↓)だけで終わってしまう。ていうか、長期で滞在してたって、がらっと異なった環境に身を置かされて、異国の言葉で、しかもつい昨日まで日本という、世界でも類を見ないほどその手の慣習の薄い文化環境にあった人間が、何の意識もなく自発的に(↑)だの(↓↑)だのできるかって、そりゃあだいぶがんばらないとムリでしょう。だいぶがんばった、ていう様子がみなさんの報告からありありと読めるし、それに比べて他国の皆さんはという驚嘆の様子も描かれているし、かく言う自分も、そのことを意識して自らを奮い立たせるようになるまでは、ある程度(註:相当程度)時間かかったよね。

 でも、気付いて、意識するようになってからは、わりとすんなりそういう行動がとれるようになったような気がするよ。自分の調査のために相手のとこに話を聴きに来た、ていうシチュエーションであったとしても、相手から話を聴くだけ・質問するだけではなくて、ああ、それは自分はこう思いますねとか、日本でもそれはこうですよとか、こないだ行ったどこそこでもこういうこと言うてはりましたわとかを、ちょいちょいはさむ、ていう。
 で、それやると、なにより気持ちいいんですよね。相手さんの表情や口ぶりがふわぁって変わるのが、見ててわかるから。いや、もちろん、だだすべりすることもしょっちゅうなんだけど(笑)。

 日本で、どこそこの図書館にお邪魔をして何々についてお話を、という場合には決まって「お話をうかがう」という言い方になりますよね。これが、欧米の図書館にお邪魔をして何々についてお話を、ということをメールでやりとりすると、十中八九、決まって”あなたとのdiscussを楽しみにしています”となる。

 まあ、↑そういうことですよね、これがすべてを物語っておられるわけだ。

 英語が通じる・通じないとか関係ない。相手の英語がわかる・わかんないとか関係ない。とにかく、そのディスカッションをしているシチュエーションがおもしろい。
 ていうことに気付く域に達するのにだいぶ時間がかかってしまったのは、もったいない話ではあったね。頭ではわかってても、体全体で納得するのに時間かかったね。

 加えて、短期でかなわず長期でかなう利点としては、インフォーマルなコミュニケーションの場というものが日常ふんだんに得られる、ということですよね。大小さまざまなパーティ、ソーシャルイベント、ランチ、会食、ミーティング前後でのおしゃべり等々。これがあるからこそ、わかる、得られる、理解できることって、そりゃあもう量り知れませんわね。そういうだからこそ伝えられるアウトプットというものもあるもんですよね。

 という具合に、先方さんに何かしら刻み残してくるものが、いくばくかでも持てるのが、長期・滞在型海外研修の一番の利点じゃなかろうか、と思うのでしたよ。

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2008年10月20日

HVU大反省大会--L×I×V×E

 ハーバード大学の中の人になれる。
 これによるメリットがどれほど大きいか、ということですよね。

 図書館に入れる。図書館の設備と資料を使える。図書館サービスを体験できる。

 学内ネットワークだってアクセスできちゃうわけで、かつ、キャンパス内にはほぼ全域にわたって無線LANが効いているので、ラップトップPCがあればあらゆる場所が書斎ですよね。キャンパス外のネットワークからでも、認証通れるから学内ネットワークにアクセスできますよね。

 それだけでなくて、例えばメールアカウントを取得できる。これにより、学内向け&業務用メーリングリストに加入できる。学内向け&業務用webサイトにアクセスできる。図書館や事務局が発する学内限定の、内輪向けの、カレントな、なまなましい情報を得ることができる。
 学内向けの勉強会やミーティングに参加できる。アメリカのライブラリアンの活動・行動・考えの生の実態を知ることができる。直接彼ら彼女らとディスカッションをすることができる。学内の人脈をたどっていろいろな部署の様子を知ることができる。

 中の人になれたからこそ、おとといの深夜にあの通りの角で図書館帰りの院生が強盗に襲われたとか、クリスマス前の月曜日を休みにすることにしますとか、このたび我が部署ではカタロギングのルールをこう変えることにしますとか、学内のほとんどのライブラリアンが学術論文のオープンアクセスに反対はしないものの、自分の論文をオープンにすることには抵抗がある、と回答したとか、図書館システム(Aleph)の全学維持経費が年間4億円とか、そういう情報を得ることができる。

 すべてが、生。
 すべてが、リアルタイム。そして双方向、インタラクティブ。

 絵本入り込み靴。(←ちがうくない?)
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2008年10月21日

HVUday大反省大会--お箸の国・ニッポン

 ハーバードさんなり、どこかしらのアメリカの大学図書館さんなりで、現在盛り上がっている活動とか、成功しているサービスとか、合理的と思われる運営・制度とかを、たくさん目にしてくるわけじゃないですか。ラーニングコモンズだとか、図書館カフェだとか、保存書庫のあり方だとか構造だとか、専門家を雇う人事制度とか、チャットレファレンスだとか、お昼休みの勉強会だとか。
 ところで、じゃあそれがとてもすばらしいということがわかったとして、それを今日明日にでも自国・自学の図書館に持って帰って、直輸入で導入してやろう、てなったときに、果たしてそれが可能かどうか、効果があるかどうか、なんていうのは、ちょっと落ち着いて考えないと甚だ疑問である、ということになってしまいますよね。
 そりゃそうだろう、とは思うんだけど、これが意外と、短期でだっと行って、ばばんっと見せ付けられて、うひゃぁと驚愕して、すぅっと日本に帰ってくる、ということをやると、なかなかそういうふうな落ち着いた、というよりは冷めた目で見るなんてことは難しいですよ。目新しいものなり違う世界なりをいきなり冷めた目で見る、ような達観した人なんて、そうそういないでしょう。それができるとしたら、ある程度長いこと滞在してからこそ、だと思うのですよ。
 ある程度長いこと滞在する、ちょっと冷めた目で見ることができるようになる。そうすると、一見輝かしいばかりと思われていた先進的・専門的な図書館活動・運営の、あちらこちらにほころびのように見えるマイナス面に気付いてくる。或いは、じゃあそのすばらしい活動や運営は具体的にどのようにして成り立っているのか、ということを目を凝らしてみたり、裏や横や斜からのぞいてみたり、逆算的につるをたどってみたり、土台をちりちりとほじくってみたりすると、ああ、なるほど、そもそも図書館以前に、この大学が、この社会が、この国の文化・習俗が、この土地の人間性が、こうこうこうだったから、この図書館が成り立ってるんだな、ということがやっとわかってくる。

 ミーティングでは誰がどう発言し、物事がどう決まっていくのか。
 図書館で使う膨大なお金はいったいどこから湧いてくるのか。
 そもそもこの国の人にとって”寄付”や”基金”とは何なのか。
 人を雇うとはどういうことで、人が働くとはどういうことか。或いは休むとはどういうことか。
 学生さんは授業でどんなタイプの課題を与えられ、それにクラスメイトとどう取り組むのか。
 そもそも学生さんはどこに住んでるのか、何を持っているのか。
 ふだんから何をどれほど飲み食いし、どれほど機関銃のようにしゃべるのか、どれほど他人に対して遠慮しないのか。
 24時間開いてるコンビニなんか1件もない大学街において、図書館の24時間開館だとか図書館カフェだとかの持つ意味は何なのか。
 いったいこの国のセキュリティ意識といい加減な油断さとのバランスはどうなっているのか。
 地震が起こらない土地では、書架の積み上げ方というのがどこまで大胆なものなのか。
 赤信号なんか誰も守ってる風に見えないのは、いったいどういう了見から来るものなのか。そんな人たちにとって、カタロギングルールとはどういう位置づけのものなのか。
 時間を守る、というときに、どこまでだったら守っている範囲になっているのか。一度口に出して言ったことは守られるという前提は、どこまで有効なのか。
 労働者はどんな顔して接客し、客はどれだけの行列に待たされることに慣れっこになっているか。
 それでいて自販機を誰も使おうとしない有り様っていうのはどういうことなのか。
 なぜ2回に1回くらいの食事が、手づかみでサンドイッチという羽目になってしまうのか。箸を使わず食事した後で、この人たちは図書館で何を手に取ろうとしているのか。
 注文したはずのチーズがサンドイッチに入ってないと訴えたときに、相変わらず無愛想なままでぷいと厨房に戻るのはなぜか。
 そして、こちらが自分から言わなければ、ドレッシングどころかマヨネーズも塩もかかってないサンドイッチを食べる羽目になるようなお国柄において、サービスとはどういうものと考えられているのか。

 というようなコテンパン(笑)な経験をしたら、図書館サービスなり運営なりのある側面だけを切り取るだけでもどうかと思うのに、ましてやそれを生のままで直輸入しようなんて、どんなハナモゲラ俳句だよ、てなるよね。

 ちょっと書きぶりがしつこくなってしまったけど、たとえ先進的または専門的なサービスや制度でも、そのまま日本の大学図書館に適用できるわけではない、ということは、長期・滞在型研修の経験者であれば少なからず語っておられること、だと思うのですよ。

 重要なのは、目に見えているサービスや制度そのものではなく、それによって利用者に何を保証しようとているのか、資料をどう守るつもりなのか、のほうなんだとしたら、その背景を理解することができれば、同じノリで我々の理想を実現しようとするにあたって、じゃあお箸の国・ニッポンではどう動けばよいか、ていうのが自ずとわかってくる、と、思いたい。希望。
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HVUday大反省大会--いいことばかりじゃないけど

 これについては、再録。
 2007年9月7日
 http://hvuday.seesaa.net/article/54296296.html

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 海外の図書館を実際に見学したり、滞在していろいろ勉強したり仕事したりするじゃないですか。そうするとこれ、絶対的に、いいことばかり起こるわけでも、いい話ばかり聴くわけでもなんでもない。”アメリカの大学図書館”は日本の大学図書館員にとって夢のパラダイスでも理想郷でもなんでもない。日本と同じように、ほったらかされてる仕事もあれば、教員や大学の無理解もあれば、残念でうっとうしい管理職もいれば、お寒い先送りやたらいまわしもある。日本のほうが圧倒的に長じてる面だってあって、そんなことでどうすんだよアメリカさんよ、と思わず説教したくなることだって、なくはない。
 なんだけど、こういうちょっと公的なところで報告したりしようとするならば、まあ、そんなことはそうそう言えへんわなあ、と。いいことばかりかいつまんで言い立て並べないと、かっこがつかないってこともあるし、わざわざ報告する甲斐がないってのもあるし、何より、お世話になった先方さんのことをそうそう悪し様には言えるわけはないし。ほんとは先方さんのメリット・デメリット、自分らのメリット・デメリットを客観的に並べ立てて、それぞれのメリットを丁寧に分析・採用していければこれほどよいことはないんだけど、でも、やっぱどうしても「先方さんのメリットVS自分らのデメリット」という図式ができあがってしまっちゃう。
 ていう感じで、話をしてみると、結果、”アメリカの大学図書館”は日本の大学図書館員にとって夢のパラダイスであり、理想郷であり、ユートピアであり、よろしくネッであるというふうに、行ったことのない人たちにとっては聞こえてしまうわけなんで、そういう話を聞かされた結果、それにひきかえ自分らは、とブルーな気持ちでとぼとぼと会場を後にする聴衆が量産されるとしたら、そうじゃない、ちがうんだ、ということを、声を大にして言いたいと思うよ。
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HVUday大反省大会--人事とシンクロナイズド

 ていうかですね、図書館活動・運営について全般的に学ばせる、などという極々ざっくりとした方針の研修って、そもそもどうなん? ていうのは、もっと問題視されていいんじゃないかと思うのですね。
 海外に行くことだけで箔が付く、とかいうようなレベルの研修なり国(失礼m(_ _)m)なりであればそれでもいいのかもしんないけど、そうじゃなきゃ、研修の目的なり期待される効果なりというものは具体的に意識されねばならんことでしょう。
 うん、じゃあ具体的にすればいいじゃん。っていう段になって壁にぶつかるのが、いまの日本の大学図書館人事のあり方なわけで、おおかたの我々が、個人に専門分野・専門職種が認められることなく、それどころか担当すら固定されず、不確定な人事異動をいつ何時となく受ける存在にある。すなわち、「この人は××をやる人」というのが認められても固められてもなくて、時の為政者の都合によってころころと変化するというんであれば、この人が海外の、いやさ、海外でなくたってどんな研修に行ったところで、その目的だのテーマだのってのが具体的には、そりゃまあならんでしょう。期待される効果、つったところで、それ自体、どういう職種のどこの部署で誰によって期待されることを言ってんの?てなるし。
 結果、漠然とした「人材育成」「マネジメント能力の習得」「実務の経験」「現地の事情調査」、そして伝家の宝刀たる「交流とネットワーク作り」といった言葉を並べるに至る。そういうことですよね。
 そんな看板で研修に来てて、じゃあ今度は迎えるほうにしたってですよ、この人、何やる人とも決まってないらしいし、帰国後何の仕事に就くかもわかんないってゆってるようじゃ、いったい何をどうしてあげたら役に立つんだろう?と考えあぐねてしまうことになるよ。もしくは、こないだ来たあの人、これこれのことをやってもらったり体験してもらったりどこどこに滞在してもらったりして、よかったね、と思ってたら、帰国後はぜんぜん違う内容の部署に異動したんですってよ。それどころか、図書館じゃないとこに異動したんですってよ。・・・・・・いったい私たちが協力してあげた研修はなんだったの(怒)。っていうことになるでしょう、そりゃ。日本のそういう事情をすでに心得ているライブラリアンさんに至っては、××について日本でも実現させるべく調査しに来ました、話を聞かせてください、なんてこと言ったところで、どうせ帰ったらじきにぜんぜん違うとこに行くんだし、実現なんてしやしないんだろうよ、ていうか、入れかわり立ちかわり来やがって、何度同じこと調べに来たら気が済むんだ、この人らは。ってなったとしても、文句言えんでしょう、そりゃ。

 何のための研修?
 ていうのが、行く側、迎える側、行かせる側、三方そろって具体的に意識されてること。
 ・・・・・・なんか、書いててむなしくなってきたなあ。そんなこともはっきりしてない研修って、なんでやってるの?て問われて終わりじゃないか。

 もちろん、ざっくりと漠然としてるからこそ得られる利点、ていうのはありますよ。あるんです、これは絶対に。しかも、それは他の方法ではまったく得がたい利点だと思います。
 なんだけど、その利点が得られたっていうのは、結局はかなりの結果論的な産物だと思うので、やっぱちょっとちがうとも思う。このへんはむつかしいけど。あと、極端にそれ一辺倒っていうのは、これはあきらかにおかしいね。

 九大さんの例で、長期研修の目的が明確に”機関リポジトリ”で、研修中も帰国後も両方その業務を担当、ていうわかりやすい例が、たぶん一番しっくりくるような気がするよ。それでいて充分に長期であれば、上記の”ざっくりしてるからこその利点”のほうだってだいぶ得られるんじゃないかという予想が立つので。

 自分が”行く側”になって、他のいろんな”行く側”の人の話をきいて、かつ、”迎える側”の立場のたくさんの人とざっくばらんにしゃべってみて、↑そういうようなことを、わりと痛切に、しかも切なさまじりで、考えてみたのでしたよ。
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HVUday大反省大会--あなたの日記ものぞかせて

 研修の報告に大事なこと。
 オープンであれ。
 そしてできれば、リアルタイムであってほしい。

 それはもう、先に書いた(http://hvuday.seesaa.net/article/106483691.html)ことなんだけども、研修の内容どころか存在すら充分に周知されていないとかじゃだめだろう、と。報告も、例えば文書が書かれたとしても、そのファイルが内部向けの事務文書に留まったまま、オープンな場では公開されていない、ていう例も少なくない。運良くwebに載ったとしても、だいぶ見つけにくい・見つかりにくいところにある、ていうんでは、やはりちょっと哀しいかろう、と。
 いやこれね、探すのほんとにしんどかったですよ、見つかんないんだもの。

 成果が広く共有されなかったら、もったいない、ていうだけの話ではなく。

 研修? ああ、行く人が行くってだけのやつでしょ、あたしらにはカンケーないし、人が減るだけメーワクな話だっつーの、ふっ。

 研修内容を還元、つってみたところで、結局はその間に席が空くわけだし、元の職場にどえらく負担をかけることには変わりない。これが成り立つには、”研修”というものそのものに対する、たくさんの人の理解と協力というものが、どうしても不可欠ですよ。
 そんなところへ来て、「あたしらにはカンケーないし」なんてこと、思われてる場合じゃないっつー話ですよ。

 もったいないから、コスト回収、という以前の問題。
 還元は人のためならず、自分自身のためですよ。

 で、まあさらに言うなら、リアルタイムのほうが効果が高いし、後から思い出し思い出し書くよりも、その場でその時で書いたほうがええもん書けるし、なにより楽しいよ。

 ていうかですね、長期・滞在型の研修を実際に行なってこられた皆さんのなかにも、オフィシャルなそれはないものの、プライベートなレベルでのブログだのなんだので現地の様子を日々紹介してる、ていう例は、江上が見つけ把握してる限りでもたくさんたくさんあるのですよね。ありますよね。ねっ(笑)。
 これがもうあと一歩進んで、オフィシャルな場で展開され、その成果が広く共有される、ということを期待したいのですよ。

 ・・・・・・いや、そうはいっても、そのあと一歩がだいぶしんどいんですよね、うん。

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2008年10月26日

HVUday大反省大会--何がそれを難しくしているのか

 
 日本からvisiting librarianに来てくれる人がなかなかいない。

 という話を、あちらでちょいちょい耳にしましたよ。
 中・韓からは積極的に滞在研修に来るのに、日本はとてものこと消極的である、とか。
 逆に短期でちゃっと来て、見学して、ぷぃっと帰るのはとてつもなく多いんだけど、それは見て、得て、帰る、ていうだけで何も残してくれないし、とか。
 たまさか呼べるプログラムを組んだところで、なかなか来てくれる候補があらわれず、招致・交渉の紆余曲折だったりとか。

 んー、まあ、いまのこの日本の大学図書館とその職員をとりまく状況であれば、1年なり半年なりの間、人員ひとりを空けるというのは、もちろん並みの難しさではなかろうとは思います。
 海外に行って滞在するだけで箔が付くことになる、というふうに思えるほど、そこまでは日本は図書館後進国ではない、と思いたい、ということなのかもしれんし。
 京大さんのこの研修だって、学内公募の末、江上以外に手を挙げたのがひとりいたのかふたりいたのか、詳しくは知らされていませんが、我も我もというわけでは決してなかった、というあたりは、そもそも日本の若年層が海外志向を持たず興味を失っている、とかいうふうに伝え聞くのも、なるほどそういうことなのかなあ、と思わなくもないよ。

 ただ、行きたい人も、行かせたい館も、まったくいないわけでは決してないはず。
 江上が今回行ったこと、及び某日記なりこのblogなりに対するお声だとかリアクションだとかを拝見拝聴するに、興味ないなんてことはまったくない。はず。と、思いたい。

 なので、だったらじゃあ、いかにかして”行きたい人”・”来てほしい側”・”行かせたい館”がうまいこと出会えて、プロジェクトが成立するという、橋渡しの、フィーリングカップルの、その出会い系の効果的な仕組みというものが築きあげられないか、というふうに思いが及ぶのですよ。 

 運命の相手に、出会えないのは何故?
 出会えそうになっても、すれちがってしまうのは何故?
 (注:OMなんとかではありません)

 個別交渉で探すのに手間や負担がかかっているから?
 行きたい人がどこにいるか、どうすれば見つかるかを、来てほしい側が知らないから?
 どこが来てほしがってるか、どんなプログラムがあるかを、行かせたい館側が知らないから?
 自館に行きたい人が現れたとき、どう対処していいかを知らないから? 上手な行かせ方を知らないから?
 実際行かせたらどうなるかがわかんないから?
 行きたい人だって、実際行ったらどうなるかがわかんないから?

 ということで、まあ、江上の考え付きやすい範囲(笑)のことで考えてみて。
 需要・供給の情報が集約されていない。
 経験者・経験館のノウハウや事例が共有されていない。
 ということなんではなかろうか、と。

 需要・供給の問題だけじゃなく、1年海外行く・行かす・来さすのって、解決されなきゃいけない課題も、のりこえなあかん障害も、事前に知っといたほうがいいコツも、あらかじめ回避されるべき失敗例も、どこをどう押さえたら効果的かというポイントも、たくさんたくさんあるはずなんだけど、それが整理され、集約され、共有されてなかったら、それは何? 毎回ゼロから始めなあかんの?てなって、そりゃまあ、偶さか機会が訪れたとしても、手を挙げるのに躊躇せざるを得んだろう、ていう。

 さて一方その頃、大学図書館業界では、いまやすっかり定着しつつある感の某モーテンソン研修。
 これだって、最初は様子見様子見だったろうと思うんだけど、数年経って、常連の貫禄すら見えてきてますよ。
 貫禄の理由は、数年間の経験が蓄積されたというところにあるだけではないでしょう。あちこちの大学からばらばらに派遣されているように見えて、取り仕切っているのは某□大図協さんや△大図協さんが中心、ということはイコール、情報やノウハウがそこに集約され、かつ共有されている。だからこそ、継続事業として定着しつつあるところ(=「ああモーテンソンね、いいんじゃない?」)まで来てるのではないかしら。と考えてみるのですよ。

 このモーテンソンさんの場合は、先方のプログラム自体に継続性があるから、日本側でも継続的に蓄積していけるものとして構えやすかった、てのはあるんでしょう。
 では、ほかに継続性が保ててるものがあるか?と考えてみたときに、慶應さんとトロント大学さんのエクスチェンジ提携のパターン。毎年慶應さんからトロントさんに派遣させて、聞けばもう4年で4人だとのこと。向こうからも来てはるし、継続と蓄積という点から言えば強固そうだなあ、と思えますよね。
 それから別の意味での継続・蓄積という意味では、九大さんの例。ざっと見ただけでも比較的短期間のうちに何人もの派遣が行なわれてますので、これはもう、学内館内にノウハウが蓄積される、されないわけがない、といううらやましいパターン。学内に複数人経験者がいれば、管理者側にもその実施経験が蓄積されてれば、次にまた誰か行かしましょか、ってなったときに実にスムーズに手際よく事が進むであろうことは、容易に想像し得る、というものですよ。
 あと注目してみたいのはエルゼビアさんのプログラムって?てことなんですが、これは今後の成り行き。
 そして、あちこちの文献を流し読みしていると、どうやらトロント大学さんは”迎える側”としての継続・蓄積の利をえているらしい、ということもなんとなくわかるよ。

 さて、以上はうまくいってる、ていうかうらやましいパターン。

 問題は、慶應さんなり九大さんなりじゃない、それ以外のほとんどの大学図書館が、そんな蓄積だの継続性だの持ちようがない、ということにありますよ。
 1週間の短期見学ツアーでこそ、それこそ山のように行なわれているようではあるものの、図書館員を半年・1年レベルで海外に行かせるなんてこと、それなりに大きな規模の大学図書館であったとしても、10年に1度あるかないか、ていう感じになっちゃうのではなかろうか。10年に1度のイベント、単発かつ個別なままの研修事業について、青果物としての調査結果だけならまだしも、経験だとかノウハウだとか、自館に蓄積されるわけがないし、されようがないし、偶さかされてみたところで活用される場もない。利点・問題点といったことへの知見だとか情報だとか、形成された人的ネットワークだとかが、そんな時代もあったねと、ときたま笑って話されるだけで、次へつながるということがついぞない。いや、大規模大学ならそれが1つでも2つでもあるかもしれないからまだいほうで、そうでない大学さんでは、情報もねぇ、人脈もねぇ、機会もねぇ、いや、機会が、無人島の沖を通る貨物船のように訪れかけたとしても、経験も蓄積もねぇから手の挙げようがねぇ、結果、スルー、ていう。

 もとから決して数の多くない、長期・滞在型海外研修の、経験やノウハウや知見やというのが、ぱらぱらと点在散在していて、それを偶さか必要とする人からは手の届かないところで、眠っている、としたら。
 もったいなさすぎやせんか、ていう。
 それはじゃあ、大学間の枠を越えたような場で持って、集約と共有をしましょうよね、ていう。

 もちろん、財源の確保だとか人員の確保だとか、そもそもの人材育成方針をどう持ってるかとかいう問題は、個々の大学に帰するものであると、そこはまちがいなくそうなんだけども、それらを解決し確立しあるいは透明化するための検証・情報共有の場みたいなの、あと、需要・供給の交通整理的なステージみたいなの、ていうのは、10年に1度あるかないかなんつってるレベルである以上、個々とかでまかなえるような問題じゃないんだから、それなりの場で形成しましょうようね、と。モーテンソンではある程度やれてるんだから。

 少なくとも、モーテンソンがあるからいいじゃん、つって、安心しちゃって、それ1個にゆだねて、なんか、ていのいい人材育成のアウトソーシングみたいになっちゃってないか、あれ? ていう変な心配しなくてもいいようなことくらいは、やってもいいよね、と。

 いうようなことを、実際行くことが決まった時にさてどっから情報収集の手をつけたらいいもんかと考えあぐねたり、過去にあった同様の海外研修事例を網羅的に探してみようと試みたらかなり手こずったりした江上が、考えてみた、ていう話でしたよ。

 モーテンソンについては、日本だったらあれくらいのこと国内でまかなってやらなあかん内容なんちゃうんか?ていう不審感もなくはないんだけど、ここでそれ言うと話がヘンになっちゃうので、それはまた別の。

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